98歳で50歳の若さだった博士

ブラウン・ランドーン博士のその生き方と若返りについてご紹介します

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ブラウン・ランドーン博士

現代に生きる博士の方法

ブラウン・ランドーン博士(1847~1945)の写真は、わずか2枚しか手元にありません。1枚はトップページの写真で、残念ながら年齢不詳です。70代位だろうかと私は勝手に想像しているのですが、、。ランドーン博士だけではなく、当時の患者さんもこぞって若返っていました。博士は出来ることなら彼らの写真を皆さんにお見せしたい、とまで言っています。

博士とほぼ同時代、フロリダにはエドガーケーシー(眠れる予言者と呼ばれるヒーラー)がいました。ケーシーセンターには膨大な量のリーディング資料と書簡が残されています。その書簡の中に、ブラウンランドーンの名前を何度か見つけることが出来ました。

1つは知人の女性からケーシーに宛てた書簡です。”ブラウンランドーン博士は90歳を過ぎているのに、まるで50代にしか見えません。今度ニューヨークで開かれるランドーン博士の講演会に行ってみたいと思います”というものでした。

下記の写真は、ランドーン博士が98歳の時のものです。

ブラウン・ランドーン博士

 

博士の墓地

ブラウン・ランドーン博士のお墓は、アメリカ・フロリダ州、ウィンターパークにあります。

ウィンターパークは、ウォルトディズニーワールドで有名なオーランドから1時間ほど車で北に上ったところで, Palm Cemetery が霊園の名前です。霊園と言っても、日本でイメージされるような陰鬱な雰囲気は全く見られません。静かで美しい公園といった感じで、みんなでお弁当を広げたいと思うほど明るく落ち着いた、素敵な雰囲気の場所です。 

博士に関するわずかな資料は、霊園の近くにある Rollins College  の資料室で保管されています。当時のローカル新聞に掲載された論評や講演会の内容などが残されています。

博士の墓地

 

1945年10月10日はランドーン博士の命日です。この年は第二次世界大戦の終戦の年です。

2004年・10月、ランドーン博士の59回目の命日に、40名ほどの皆様から暖かい献花をお送り頂きました。日本から持って行くために、生花という訳にはいきませんでしたが、ドライフラワーやシルクフラワーなど、真心一杯の造花を皆様からお送り頂き、博士の墓前に手向けることが出来ました。 

ランドーン博士が現代に全く知られていないのは何故なのか、幾つか理由が考えられます。

その一つは、3人の息子が全員第一次世界大戦で戦死したために、後継者がいなかったということがあると思います。また、活躍の舞台は多くヨーロッパであり、またアメリカ国内もバージニア州など広い地域に居を構え、ウィンターパークは晩年の8年を過ごしただけだということもあるのでしょう。しかし最も大きな理由は、もしかしたら、博士自身が特に”名”を残すことにはこだわっていなかったのかも知れません。ヨーロッパ時代、かなり高名だった博士は、劇場に行ってもレストランに足を運んでも、あれがブラウン・ランドーン博士だとみんなに指差されました。当初はそう嫌でもなかったようですが、その後は面倒になってしまったようです。現在、ブラウン・ランドーンの名前は知らなくても、博士の沢山の方法は、食事療法、スプラウト療法、心理療法、蒸留水、又は経営学やサクセスプログラムなどなど、沢山の世界の中で、しっかりと生き続けています。

博士の方法のどこの断片を見ても、その1つづつがすべて完熟したものであり、完成されたものであることにいつも驚かされます。博士は何百冊、あるいはそれ以上の小本の著者ですが、現在入手できるのは、ほんの僅かです。そのほとんどが、晩年にウィンターパークで書かれたもので、博士の98年の人生の集大成と呼べるものです。私が皆様にご紹介した本はすべて、ここウィンターパークで書かれました。

ランドーン博士は、大西洋の海の上でこの世に生を受けました。ヨーロッパからの船上で生まれたのです。そこに象徴されるように、博士はヨーロッパ大陸とアメリカを結ぶ架け橋となって活躍し、南米などを含めて世界中を飛び回りました。アメリカ国内でもほとんど知られることの無いランドーン博士ですが、それでも博士の方法は、沢山のジャンルで、沢山の人達の中に、しっかりと、実際的で確実に、生きています。

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